2009年7月7日火曜日

玉とドル箱のないパチンコ屋

テレビのニュースで、ドル箱のないパチンコ屋の映像を見た。

出玉をカウントして、「データとして保持」しているだけで、
狭い通路に積まれるはずの「ドル箱」がない。
だから、通路が確保されて安全。というような紹介のされ方だった。
(パチンコ店が放火されたニュースの中だったからね。。)

そういう店がどれくらいの割合で存在するのかはよくわからないけど、とにかくビックリした。
だって、ドル箱がないということは玉が出ないわけだ。(データで「カウント」はされるけど。)
パチンコの楽しみというのは、あの「玉」が「出てくる」ところにあるんじゃぁないのか?

たくさんの玉が後から後から出てくる場面や、高く積まれたドル箱に
アドレナリンが噴出するんじゃぁないのか??

たしかに、玉やドル箱はめんどくさいことがないこともない。
いっぱいになるたびに、店員呼ぶのめんどくせーなとか、。
休憩に行ってるとき、玉盗まれないかなぁとか、。
出すぎたのも誰からもわかるわけで、交換後に襲われたりしたらやだなぁとか、。

しかーし!
それでもなお(と声を大にして言いたい)
パチンコは、玉が出ないとダメ!


ただ、冷静に考えると、玉が出ないということは、店員の数を極端に減らす事ができるはず。
(素人考えだけど、2/3以上はいらないと思う。)
それで終わってもらうと困るんだが、その浮いた人件費を出玉に回すという経営方針の店があったら。。。
(あっ、玉は出ないわけだから「出玉」とは言わないのか。。還元率だな。)

悩ましいなぁ。。。
行くような気もするなぁ。。。


いろんな業種で「価格破壊」モデルが出てきて、利用する側としてはうれしい。
これも一種の価格破壊モデルといえなくもない。
でも、ゲームの楽しみがどこにあるのかという、根本的なところにかかわるだけに、
複雑な思いがする。

昔、はじめて「カラオケボックス」なるものを見たとき、
同じようなことを感じたことを思い出した。
当時「カラオケ」というのは、
酒を飲むシーン(店)で、誰か(見知らぬ)他の人もなんとなく聞いており、
自分が歌う曲のあいまに、その人たちが「ぱちぱち」と拍手してくれる。
ようなものが多かったし、そんなシーン・雰囲気を好きな人がやってるものだと思ってた。
だから、「カラオケボックス」がはじめて出てきたときは、
そんな「ボックス」に籠って、一人(あるいは小人数)で、黙々と歌を歌い続ける。
というシーンが想像できなかった。(故に流行らないと思った。。)
→ また当時の「ボックス」は、あまりに「ボックス」すぎたしね。。


概念が変わるというのは、怖いことだ。
でも、それを主導できたら、すごく優位なポジションに立てるわけだ。
カラオケボックスが流行らないだろうと思ってしまったあの時のことを思い出すたびに、
違う見方はできないかと、問い直すことにしている。


ところで、多くの会社で給料が現金手渡しではなくて、銀行振り込みになったとき、
経理事務員の人件費分、還元率?は増えたのだろうか??
どう考えても、現金でもらう方がいいのに、。。
銀行振り込みにされて還元率が同じというのは、納得できないやつが多かったに違いない。
まぁ、あれと、これは、違うか。。。

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